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■ 黒子のバスケ THE ENCOUNTER
原作が好きだからとってもとっても楽しみにしていて、絶対に見に行きたいと思っていた舞台です。舞台鑑賞なんて数年ぶりで、どれくらい前に見たのか思い出そうとしたら、PARCO劇場で上演された寺山修司のレミング以来だったからおそらく3年ぶりくらい。
2.5次元舞台がほとんど初(テニミュは何度か行ったのだけど原作もキャラもキャストもわからない状態だったから自分にとっては普通の舞台と同じだった)
事前にTwitterで「鑑賞マナーが~」というのも見かけて、周囲に迷惑をかけないように気をつけようと思いながら観にいきました。
でもね、正直、はじまってからは舞台に釘付けで、騒ぐとかそんなんじゃなくぽかーんとしてたと思う。
キャストさんはキャラクターそのままで、プロのヘアメイクさんや衣装さんが作ったものを身に着けているからだけではなくて、そのキャラクターとして生きてきて動いてるってのが、すごくて
オープニングでアニメの1期テーマ「Can do」とともにメンバー総出演でダンスしてるんだけど、黄瀬君は出てきた瞬間高くジャンプしてくるっと回ってってその動きがもう、黄瀬君そのまんま!いや、そんな動きしたことないけど!なんだかアニメの黄瀬君だった
それから演技は皆さん、アニメの声優に寄せていたと思うのだけど
アニメと同じ黒子君は当然として、カントクと火神君にぜんぜん違和感が無い。特に火神君は黒子君との会話が多いし、黒子君はアニメの黒子君の声だから一緒に話していると違和感があるんじゃないかと思ったけど、無いのです。それも小野友樹さんの声真似で話してるというわけじゃなくて、なんというかこう、それぞれがそれぞれの火神君をつきつめていったらたまたま同じ風になっちゃったみたいな。
一方の青峰君は、ぜんぜん諏訪部さんの青峰君じゃなくて(当たり前なんだけど)、今はイキがっているけども本当は純粋な少年って感じのアプローチ。今回舞台化した桐皇戦まで(原作の7巻/アニメの1期1クールまで)の青峰くんは、その時点では悲哀を覗かせながらも絶対的なラスボスとして登場するわけだけど、その後に続く帝光編なんかを読むと繊細で純粋な少年の部分が彼のほとんどを占めていて、底知れないこわさを持っているわけじゃない。そちらの繊細な頃を意識した役作りをしていたので中学時代の回想の明るさと現在のギャップがまたせつなかったです
あと個人的にすごいと思ったのが、高尾が本当に緑間君を乗せてチャリアカーを漕いで舞台上を移動していたのと、笠松先輩が黄瀬君を蹴るのが上手かった(黄瀬君の蹴られ方も上手かった)のが漫画みたいにテンションたかくて、おもしろかったです。
バスケシーンの表現について。
たとえば緑間君の超ロングレンジシュートはモーションと音だけなんだけど、そのフォームも緑間君を演じているキャストさんはとてもきれいでした(実際にバスケの経験のある役者さんだそうです)
ドリブルは実際のボールを使ってやっていて、ドリブルをしながらクリアとか相手のボールを駆けてって掠め取るみたいなのもちょこちょこはさんでいて、舞台だから絶対にすっぽ抜けたり途中ではずしたりがあるはずなのにビシッと決めていて、だからこそモーションだけのスーパープレイにも説得力がありました。火神君のダンクも一番最初の1年生vs2年生の練習試合では本物のボールを使っておこなっていて、黒子君がはずしたボールをアリウープで火神君が叩き込むという原作にもあったあの場面を実際にやっているのはかっこよかったです。
どのように表現するのかと気になっていたミスディレクションも、本当に消えたように見えて、舞台上に斜めに作ったコートの床面をキャストが駆け上がったり、場面を切り替えたりするテンポの良さが新鮮で、見ていて飽きる隙が無かったです。単行本7冊分、アニメ12回分を2時間半の舞台に納めるのでうまく切り取って、その切り取られて落ちた部分もさりげなく拾って、すてきな舞台になっていました。
劇場で1回と千秋楽のライブビューイングで1回の計2回しか見られなかったのだけど、興奮して数日間はずっと思い返していました。
原作で何度も読んだ場面を音と光のある舞台で見るという体験は自分にとってそれだけ衝撃的だった。
ライブビューイングでは火神君(本当の試合かって言うくらいのすごい運動量だった)をはじめとしてキャスト陣の汗の量に驚きました。ほんともう、メイクも落ちるだろっていうくらいダラダラと汗をかいての熱演を見られて、好きな作品をこんな風に大事に思ってくれる役者と製作に舞台化してもらえてよかったなあと思いました。
■ 歌劇「明治東亰恋伽~朧月の黒猫~」
そんなこんなでまんまと火神君を演じていた役者のファンになったので、ニコ生の配信で視聴(気づいたときにはチケットがもう平日しか残っておらず、おけぴとチケキャンを何度も見た上であきらめてニコ生で我慢しました)
申し訳ないことに原作を知らないまま観たわけですが、ゲームのキャラクター、それも時代モノやファンタジーといった実際には経験しえない世界観を演じているのに演じている感じがしないという不思議な世界でした。
原作は乙女ゲームなのだけど今回は菱田春草という登場人物の1人とヒロインとの恋愛ルートをメインに舞台化していました。10月にパッケージが出るようなのでストーリーにはあまり触れられないけど、ヒロインと春草のほほえましい恋愛にはきゅんとしっぱなしでしたよ。そしてその二人を見守る鴎外さんは演じている役者がとても上手くて、いかにもな2次元キャラクターの古めかしいしゃべり方なのに違和感もなく、余裕のある姿にこっちも安心しました。
自分の目当てはチャーリーという謎の奇術師でヒロインを現代から明治時代にタイムスリップさせる、いわば狂言回し。ヒロインのことを大事に思っていることが言葉の端々から感じられる役柄でした。火神君とは全然違う役柄なのに声も動きもそれにあわせていて、当たり前だけれど役者ってすごいなと思いました。
それにしてもヒロインが可愛い。声がきれいで歌も上手くて、ダンスでも元気いっぱいでした。テンポよく笑い所のたくさんある前半と、物語が確信に近づいて悲しい展開をしていく後半が自然につながっていて、だんだんと登場人物に愛着が湧いていったんですけれど、ヒロインはその中でも特別に可愛くて、幸せになってくれーーーー><と思いました。千秋楽、春草とヒロインの想いが通じ合う場面はふたりの熱演にもらい泣きしそうになったくらい。
舞台上にいる役者が2.5次元ミュージカルではベテランのテニミュ勢から今回が2回目の舞台出演という新人まで多彩で、みんながみんな見栄えのするスタイルでかっこよかったです。あんな風に装飾のあるゲームの衣装を着て歌ったり踊ったりしていてすごい。それに、キャストがSNSであげている写真を見るとどの衣装も模様や柄が凝っていて、パッと見ただけではわからないけれども無地に見える衣装にもちゃんと模様が入っているんです。今回はアンサンブル無しで9人の出演者だけで舞台を回すという、見るからにハードなものだったのだけれど、そのおかげかはわからないけれど、衣装やセットが凝っていてうつくしい舞台でした。時代的な説明をする際に影絵を使ったり、キャラクターの心情をモノローグで語るのにスクリーンの向こう側へいって顔を見せずに影だけで演じてみたり。
それにしても、タイムスリップもので現代へ戻るかそのままその時代に残るかは永遠のテーマだなあと思いました。
の、アニメの話
ゲームはやっていないのでアニメだけでの感想というか、総括というか。まだこれから分割された2クール目があるようなので、思ったことちょっとだけ。
そんなに思い入れのある子もいなかったのでほげ~っと観ていただけなんですけど、アイマスは本当に、キャラクターを大切にしている作品だなと。それをすごく感じたのが第5話「I don't want to become a wallflower」です。
簡単なあらすじは、アイドルを目指す女の子達がひとつの事務所に所属していている状態で、みんなで仲良くレッスンを受けていたのが、一足先にデビューが決まったメンバーとそうでないメンバーがいて、デビューの決まらないメンバーが「なんで自分はデビューできないの!」と暴れる話です。プロデューサーに直談判したりと、学生運動みたいなことするんです。すごくハチャメチャな話なんだけど、この回で、自分はアイマスの本気というか、キャラクターに対するスタッフの愛情を感じたわけです。
アイドルモノの場合、期待するのって華やかでぬるぬる動くライブシーン、印象的な歌、女の子達の頑張ってる姿とキャラクター同士のいちゃいちゃで、その辺は三次元のアイドルでも似たようなものかなと思います。ルックスはイマイチだけどその分頑張ってるとか、歌がめちゃめちゃ上手くてそれは幼いころからレッスンしてて云々とか、他のとあるメンバーのこととっても慕ってるとか。そういう部分があって、応援する子を誰にするか決めたりするのは二次元でも三次元でもそんなに変わらないのじゃないかと。でもってアニメにするにあたって、ファンはファンで良いとしてスタッフの目線をどこに持ってくるのか。このアニメはその辺のさじ加減がすごく好き。
件の5話は最後、プロデューサーが「実は他のみんなもデビューは予定しています」と言うことで解決します。で、それを最初に言えば良かったじゃん!というツッコミしたくなるような終わり方なんだけど、もしも自分がプロデューサーだったらと考えたら、この流れに納得がいきました。
デビューが決まったとアイドル志望の女の子達に告げる上での問題点がいくつかあって
①そのデビューは本当に確定なのか
デビューすることになった2組のうちニュージェネレーションズは、そこまでガツガツしていないというか、アイドルになりたいけどそこまで実感が無いような感じで、デビューが決まったのも「えっ?ほんとに?」という感じだった。もちろん喜んでいたけど。もう1組のラブライカはある程度大人で、考え方がしっかりしている。はっきり言うと、ポシャってもあまり感情的にならなそうなメンバー。対するみくちゃん(デビューしたくて暴れまわった中心の子)は、おそらく一度決まったデビューが覆ったらさらに暴れただろうキャラです。先にデビューする2組の結果如何によってその後のメンバーのデビューが後回しになったり、企画そのものが流れたり……そんなプレッシャーが、デビューできない組以上にデビューした組にものしかかるわけで、後続については伏せてスタートしたのも納得なのです。
②デビューがゴールではない
ラブライカはルックスやパフォーマンスが年齢を含めて完成されているから、きっと満を持してのデビュー。もう一組のニュージェネレーションズは“アイドルを目指す”ことそのものの途上である三人なので、走っている道をちょっと調整してみたいという好奇心があったのではないかと思います。完成されたグループと発展途上のグループのちょうど対極の2組ね。
プロデューサー(通称“武内P”)は、アイドルを目指す女の子ひとりひとりの将来のことまで考えているのだろうと観ていてわかる人だったので、イチ抜けさせるメンバーとしてこの2組を選んだのもわかりました。
実在する某大手プロダクションの元社長はアイドルとして有望な子はスカウトの後に自分の自宅に下宿をさせて育てていたという話ですが、その社長が「アイドルとして目が出なくてもこの経験が社会人として生きるよう」にと指導をしていたようです。私生活での言葉遣いや所作からしっかりと育てあげ、彼女達が大人になってからも恥ずかしくないようにと。武内Pはそこまでじゃないし実際単なる口下手もあると思うのですが、彼女達にとって,アイドルとして過ごす経験がどれほど重要なものかを踏まえて接しているのがわかったのでした。
だから、最後の最後までデビューの話をして女の子達を喜ばせて解決にはしようとしなかったし、その後も色々と問題が起きるたび、彼は自分の言葉で女の子に接していこうとしていました。
しかしこの話を本格的な育成モノにしてしまうと、アイドルとしてのキラキラ感がなくなってしまう…。という、寸前での、ファン目線とプロデューサー目線の切替。映像的には物足りない部分もあったのだけど、見せたいライブシーンは押さえつつ、キャラクターの魅力を伝える感じでした。そのキャラクターの見せ方も記号的じゃなくて、ちゃんと、それぞれの子達がそれぞれ考えて動いていて、良くない部分もありつつの感じ。属性じゃないし、みんながみんな無為にプロデューサーを慕っているわけでもない。よくセクハラの定義で「自分の娘が職場でされたり言われたらいやだなと思うことはセクハラだ」とあるけど、逆に自分の妹とか、娘とか、そういう意味で大切な女の子がこんな風になれたらいいな!っていう。例えばかな子ちゃんは大食いでぽっちゃりしている子なんだけど、“よく食べるキャラ”というより“お菓子が好きなキャラ”なのね。自分の身近な子が“よく食べる太った子”っていうキャラ付だといやだけど、“お菓子を作るのも食べるのも大好きな子”だったら全然いやな気がしない。蘭子はいわゆる厨二キャラなんだけど、イタい子じゃなくて“自分の気持ちを表現するのに飾った言葉を使ってしまう子”。このニュアンスがだんだんわかってくると、このアニメ、みんな可愛い!となる。
それから最終回で、新田さんが倒れてしまった時にそれを無理して出演させなかったところで、本当にアイドルを大切にしているんだなと思いました。無理をおしてライブに出て、自分の出番が終わったところで倒れる…ってのは話の上ではお約束なんだけど、もし、自分のプロデュースしているアイドルだったらと考えたら、出演してほしくない。出演せずに休んでてほしい。実際にそういう流れになったので、新田さん無理しなくてよかった…!と思いました。
ケガを隠してとか病気をおして頑張るとか、そういうのアニメの世界ではありがちだけど実際で考えたら絶対無理をしてほしくないのです。と、某スケート選手のこと(というかその時の感動を煽るような報道のしかた)も思い出しながら考えました。
女の子が複数いてわちゃわちゃしているだけでかなり広い心になってしまう自覚はあるのだけど、その描き方はやっぱりあのアニメのアイマスのスタッフだけあるな~って感じです。
今期始まったうたプリは第1話しかまだ観ていないのですけど、逆にあのストーリーの切り捨て方はすごいなと思いました。普通はキャラ紹介をしつつストーリーを入れて、これはただのキャラカタログじゃないです!って主張すると思うんだけど、そういういちげんさんによる誤解を恐れない自信満々の切捨てには感動しました。これは褒めてます。
最近のアニメや漫画はキャラクターをすぐにネタにしたがる傾向があってそういうのを見るととたんにげんなりしてしまう古いタイプのオタクなので、アイドルモノでキャラクターを駒にせずネタにもせず、可愛いところやかっこいいところをファン目線ではなくちゃんと発信側の視点で
見せるってすごいことだなあと思いました。
二期も楽しみです。
こういうことにあまり触れない方が良いのかもとは思ったのですが例の拉致事件に関わる話です。
軍事的な内容についてはちょっとわからないので飛ばして、
やたら耳についた「自己責任」論について。
全くの持論ですけど、青さ(若さというとちょっと語弊があるかもしれないのでそう言います)の基準のひとつに、物事を0か1かで見るかどうかというのがあると思います。
後藤氏はシリアに渡る直前、職業柄、普通の人よりも何倍もその場所の危険さを知っており、ビデオに自ら「自己責任」だと言い残して行った。つまりは他の人に迷惑を掛けたくない、自分がもし仮に捕まったとしても助けようとしなくても良い。そのビデオがきっかけなのかはわかりませんが、最初の映像が公開されてからしきりに「これは危険地帯に渡った後藤さんの自己責任だ、身代金を払う必要はない」という意見を耳にしました。
では自己責任とはどういう意味だろう、と
goo辞書にはこんなことが書いてありました。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/95808/m0u/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E8%B2%AC%E4%BB%BB/
1.自分の行動の責任は自分にあること。「投資は―で行うのが原則だ」
2.自己の過失についてのみ責任を負うこと。
1の用例で考えると、投資に失敗して財産を失っても、それは本人の問題であって他者を巻き込むべきではない、巻き込む危険があるのであれば投資はするな。そんな感じでしょうか。
では責任とは何だろう、この場合どうとるのが適切だろうと考えましたが、危険地帯に単身渡ったことについて他の誰か――例えば湯川さんや後藤さんをその場所まで運んだ交通機関、出国を許可した職員、渡航費用を準備するにあたって協力した人(仕事上の報酬を渡した人など)に何らかの責任があるかと言われれば、自分は無いと思います。おそらくご家族や、身近な人たちはもっと、なぜ彼らを止められなかったのかと悔いているはずです。
自分が「自己責任」論に違和感を持ったのは、この「自己責任」論者の人たちは危険な地域(実際、日本政府が入国しないよう勧告している)に行った責任を、まるで「死ぬことは責任の取り方だ」というように責める言葉として使っているからでした。ましてや、きっとそこまで深く考えてはいなかったのだろうけど、「自業自得」とまで言う意見も見ました。自分はこの「自業自得」という言い方をした人がもし目の前にいたらその場で反論していたと思います。ネット上では「相手を言い負かす」ことはできてもまともに議論なんて出来ないものなので、twitterで見たそれはすぐに忘れることにしましたが。
それで、最初に書いた、物事を0か1かに分けるということなのですが、この「自己責任」論を展開している人の多くは、彼ら拉致されている人たちを忘れて何もしないか、もしくは何かをするべきかの二択で考えていたのだと思います。
個人的な意見ですが身代金は渡すべきでなかったと思います。何よりそのお金が新たな殺人の資金になるから。また、個人にはとても支払えないような額を日本人誘拐したら国が支払ってくれるという前例を作ってはならないから。表面的なところではそんな理由で、政府の身代金は出さない、という決断は支持します。
しかしこの事件に対する感情は、切り捨てるのでも寄り添うのでもなく、テロ行為のどんな理由にも与しない、しかし拉致されている人の無事を願う、それらはけして矛盾ではないと考えます。
首相が言った「テロには屈しない」「人命第一」この二つは正反対の決意です。テロに屈せず拉致された人たちを救うとしたら、自衛隊を現地に派遣してアジトを潰して救い出す、あるいはスーパーネゴシエーターを使ってテロリスト達を説得して、何の見返りも与えずに返してもらう。それくらいしか無く、どちらも現実的ではありません。「テロリストにはどんな利益も与えない」「拉致されている国民を救いたい」というふたつを矛盾していると批判するのも違う気がするのです。もちろん日本の陣頭指揮をとる政治家なので明確な指針を出すべきで、その点ではどうなのかと、どっちつかずに見えました。
敢えてそうしたともとれます。
しかしテレビやパソコンの前で状況を見守っているだけの自分達が、彼らを切り捨てる、もしくは助ける、どちらか判断する必要は無かった。ただ、無事を願うべきでした。
「こんなのは自己責任だ」
そう言った言葉の裏に、どれだけの決意があっただろう。ただ、非情なことを言ってみたかった、その言葉を使ってみたかった、自分の払っている税金の一部でもテロ組織に渡したくはなかった、自分にはそう思えました。危険地帯に自ら出掛けていった人たちが責任を取るとすれば、それは斬首されることではなく帰ってくることだったのだと思います。
少なくとも、殺されてその映像を世界中に広められて良い理由も、そうなることでとれる責任も無かったはずです。
自分は後藤氏のことをこの件まで知りませんでした。なので、昨日から急に湧いた彼のジャーナリストとしての功績や美談、モールス信号で~という信憑性のないドラマに、感動はしないし持ち上げる気にもなりません。
ただただ、お悔やみ申し上げます。
後藤氏のジャーナリストとしての功績を知る人たちはきっとこうなる前から彼がネットでバッシングをされていることに強い憤りを持っていたと思います。亡くなって、ようやくそれらから許されて彼のことを良く語っても良い風潮ができたのだとしたら、それも哀しいです。
その人がどういう人かまで0か1で語るようなことは、あってはならないと思います。
◆映画
◆ドラマ
『ファーストクラス』
◆本
その方と他の方とのまとめは、新聞報道もひとつの情報源だけども新聞が書い たから対象を批判、実はその対象が違っていたら新聞を批判、というのはやめようね。ちゃんと色んな事情や情報源を汲み取って自分で考えてから攻撃しようねという話なのにそれが全く伝わっていない流れにびっくりでした。
そんな中でも同人誌を作ったことはわりと大きな変化
作った時のクソミス一覧
■1冊目…締切10分前に入稿データをまとめていてzipファイルを作成できない謎のエラーが自分のパソコンにあることが発覚し四苦八苦。PCに管理ユーザーアカウントを作成してdropboxを入れて管理ユーザーアカウントからdropboxにアクセスして自分のPCにあるファイルをzipファイルに入れてなんとか入稿データ完成。ちなみに管理アカウントから直接作成データのフォルダにアクセスしてもファイルの移動等が出来ない(すべてセキュリティエラーで権限がありませんと警告が出る!一人で使ってるPCなのに!死!)ちなみにこのエラー、調べたらiTunesのインストールを何度も失敗するエラーと同種の何かがアレとかいうソレでPC買い換えるまで謎のままになりそうです。
■2冊目…トレペ印刷の口絵をP数に数えて印刷代を入金したけど実際はP数に数えなくて良かったです。返金という超絶手間をかけさせてしまいました
■3冊目…135kgのきらきらした紙を表紙にしたら薄くてぺらぺらしてました。44Pの本には不向き!おそらく本文が100P超えじゃないと薄すぎます
■4冊目…内容的には一番気に入っていたけど表紙のレイヤー順を間違えて入稿しカラーインクの上に白インクが乗ってモサい感じに。この本で憧れの箔押しに挑戦!
■5冊目…特に失敗は無かったけど内容的にドツボにはまり、ひどく後悔の残るものに。あと部数、余部をあてにしすぎてまた友達に配る分が足りませんでした
これに書店委託やたまに自家通販、イベント参加もしたりしてわりと同人活動満喫しました。楽しかったです。
そんなわけで同人活動だけが外界との接点って感じでした。
7月と10月に東京で一緒にご飯を食べた友達の子供。
そんなこんなで2015年も同人活動ちょっとだけ続けつつ色んな場所へ行きたいと考えています。
あとユリ熊嵐関連で絶対なにかトークショー的なことが行われるので足を運びたい。